相馬野間追に行ってきました

相馬野間追に行ってきました福島県を代表する伝統行事「相馬野馬追」(相馬市、南相馬市など)が7月27日~29日に開催されました。戦国時代と同じように、鎧甲冑をつけた武士たちが馬に乗り、大行列をなして町を練り歩くのです。歴史ファンでなくても、日本人なら血が騒ぎます!! 私も長年、騎馬武者たちを現地で見てみたいと思っていましたが、ついに今回見ることができました。

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午前10時頃から大行列の行進がはじまりました。騎馬武者が何騎通り過ぎても、行列は終わりません。それもそのはず、なんと400騎以上いるのです。
武士たちも古式にのっとった立ち振る舞いをします。
「それがしは軍師付き組頭、伝令申し上げたてまつる!!」
「うむっ、ご苦労!!」
とか。
しびれますよ、マジで。

ちなみに、この行列を横切ったり、高い所から見たりしてはいけません
戦国の世、それは無礼・頭が高いとうことで切腹ものの所業でした。ここでもそんなことをしたら騎馬武者が凄い形相で近づいてきて、
「そこの者、無礼であろうがぁ!! 本行列を横切ることはまかりならん!!」と注意されます。

そして、大行列もいよいよ最後尾に近くなってくると、ついに総大将の登場です。
総大将を務めるのは、相馬陽胤(きよたね)氏(37)。相馬氏第33代当主・相馬和胤氏の次男。つまり殿様の直系の子孫です。そのことを知ると、不思議と厳かな雰囲気を感じました。
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そして、騎馬武者たちは野馬追会場に続々と集結します。全国から訪れた観光客で観覧席もギッシリ。
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ついに開会です。総大将・相馬陽胤氏の開会の挨拶に目頭が熱くなりました
「東日本大震災、そして原発事故の被害が最も甚大だったのは、旧相馬領つまりこの一帯だった。今回の騎馬武者たちの多くが、各地から馳せ参じたことをご承知おきいただきたい。先祖が営々と築いてきたこの地が危機に瀕しているのは、誠に遺憾である。しかし、先祖もこれまで幾多の困難を潜り抜けてきた。我らもこの相馬野間追を行うことで、困難に打ち勝つ決意を新たにし、復興の旗印としたい」

そうです。浪江町、双葉町、大熊町などの人たちは、まだまだ帰宅のメドが立っていません。私たちも、会場まで来るのに、立入禁止区域を迂回してやってきました。震災と原発事故の爪痕は今なお深刻なのです。
それだけに、この相馬野馬追にかける意気込みは、これまで以上のもの。それは見ている私たちにも伝わってきました。

それにしても、とんでもない迫力でした。ぜひ多くの人に現地で見てほしいです。
迫力その1 「甲冑競馬」。騎馬武者7、8騎がトップスピードで競馬します。
せめぎ合いで落馬し、救急車で搬送される人も。命がけで野馬追を行っていると感じました。
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迫力その2 「神旗争奪戦」
打ち上げた花火から、ゆらゆらと落ちてくる神旗を争奪します。
これだけの数の騎馬武者たちが入り乱れる様は、まさに戦国絵巻
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とにかくスゴイの一言です。国内の人はもとより、
「サムライ」をこよなく愛する海外の人にもぜひオススメしたいです。

最後に、相馬野間追の歴史について簡単に触れます。
約1000年前、相馬氏の始祖・平将門(生年不詳~940年)が 人馬一体の軍事訓練のためにはじめたのが起源です。つまり相馬氏は平氏の末裔。武家は源氏の末裔が多いので珍しいですね。

平将門は反乱を起こして討伐されます。ですから彼の子孫も危険視されました。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練は取り締まりに遭いましたが、それでも相馬野馬追はあくまで「神事」という名目で脈々と続けられてきました。

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