日本マンガの聖地「トキワ荘」

tokiwa1953年、手塚治虫はトキワ荘(東京都豊島区)に入居します。この頃の手塚はすでに売れっ子漫画家として成功しており、それを慕って、まだ無名の若手漫画家たちがトキワ荘に集まります。手塚は若手たちに「漫画のアイデアのためにも、映画をいっぱい見ろ」といったアドバイスしていました。

手塚はわずか1年程度でトキワ荘を出ていきましたが、その後も若手漫画家たちは、切磋琢磨して実力を磨いていきました。彼らの中には、藤子·F·不二雄(藤本弘)、藤子不二雄Ⓐ(我孫子素雄)、石ノ森章太郎赤塚不二夫などがいました。その後、彼らが日本のマンガ界を牽引していきました。まさにトキワ荘は日本マンガの聖地といえます。ただ残念ながら、トキワ荘は1982年に老朽化のため取り壊されました。

英訳

In 1953, Osamu Tezuka moved into Tokiwa-sō apartment in Toshima ward, Tokyo. Because Tezuka had already succeeded as hottest manga artist, nameless young manga artists also had moved into Tokiwa-sō to follow Tezuka. Tezuka advised them to watch many movies for making works.

Although Tezuka moved out Tokiwa-sō after about one year, young manga artists improved themselves through friendly rivalry. Residents included Fujiko F. Fujio (Hiroshi Fujimoto), Fujiko Fujio A(Motoo Abiko), Shotaro Ishinomori, Fujio Akatsuka and so on. After that they had led Japanese manga industry. Tokiwa-sō was certainly the sacred ground of Japanese manga. But unfortunately, Tokiwa-sō was demolished because of aging in 1982.
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中国語訳

于1953年,手冢治虫迁入[1]常盘庄[2](在东京都丰岛区)。因为当时手冢已经得名了,所以无名年轻的漫画家就聚集[3]到常盘庄。手冢给他们说:“电影看多了! 作漫画时有好处。”。

手冢仅一年左右离开常盘庄了,然后年轻的漫画家在那里继续切磋琢磨[4]。他们中有藤子·F·不二雄(藤本弘)、藤子不二雄Ⓐ(安孙子素雄)、石之森章太郎、赤冢不二夫等。他们牵引[5]了日本的漫画界。常盘庄正是日本漫画的圣地。可很遗憾,因为常盘庄老朽化,被于1982年拆除[6]了。
新浪博客版

1 迁入 qiānrù 移る
2 常盘庄 Chángpán zhuāng トキワ荘
3 聚集 jùjí 集まる
4 切磋琢磨 qiē cuō zhuó mó 切磋琢磨
5 牵引 qiānyǐn 牽引する
6 拆除 chāichú (建物を)取り壊す、解体する

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えっ!? 『少年キャプテン』知ってるの?

syonen-captainこの間、取材の仕事で長時間、車を運転することがありました。運転は私がして、助手席にはカメラマンがいました。時間が長いですから、いろんな話をして退屈を紛らわすことにしました。

あるタイミングで、話題は「趣味」の話に移りました。私はマンガが好きであることを伝えると、カメラマンは「どんなマンガを読むの?」と聞いてきました。まずは無難に「ONE PIECEとかですね」と応え、じょじょにアクセルを踏んでいきました。
すると、このカメラマンもガチオタだってことがわかったので、「『強殖装甲ガイバー』が好きなんすよっ!」と言ってみました。すると、驚いて「えっガイバー!? もしかして『少年キャプテン』知っているの?」と聞いてきました。

私も驚きました。ガイバーの連載誌であり、1997年に休刊した徳間書店の「少年キャプテン」を知っているだとっ!? 同志発見です。「えぇ知ってますよ、『トライガン』とかも連載されてましたよね」と応えると、カメラマンは凄く嬉しそうになり、堰を切ったように話しまくりました。長い道中、退屈しなかったのは言うまでもありません。

時と場合によりますが、私はマニアックな趣味や志向(嗜好)をオープンにするように努めています。それは、このカメラマンのように喜んでくれる人がいるからです。
日本社会では「平均的」が美徳とされています。この平均からズレると糾弾されたり排除されたりする恐れがあるので、人と異なる考えや意見を前面に出す人は少数です。ただ、とても窮屈であることは間違いありません。

私も勤めていたとき、上司から「趣味は何だね?」と聞かれたら、無難に「ジョギングです」と応えていました。
また、柄にもなく合コンに参加したとき「どんなマンガ読むの?」と聞かれましたが、間違っても「つげ義春の『無能の人』が好きです」とは言いませんでした。言ったら最後、次に誘われることはないでしょうし。

ただ、あまり自分を押し殺して生きていたら、本当に死んでしまうような気がしました。そつなく組織でスイスイ渡っていける人はいいでしょうが、私はそういうタイプでないことを自覚していたので、少しずつ自分らしい生き方を追求してきました。防衛本能の一種といえます。
事実、うつ病になっている社会人は多くいます。中には自殺してしまったり、新興宗教や怪しいセミナーにハマったりする人もいるわけです。

私がマニアックな趣味や志向をオープンにしているのはなぜか。
大袈裟に言えば、日本社会の寛容度を少しでも上げたいからです。
しかし一番は、マニアックな話をしていると、時間を忘れるほど楽しいからです

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